健康そうにすくすく育っていた赤ちゃんが、突然命を奪われる乳幼児突然死症候群(SIDS)の悲劇は、パパとママにとっては余りにも悲しいものです。
痛ましいことに、芸能人や著名人にも乳幼児突然死症候群の悲劇が襲っています。
芸能人や著名人もパパ、ママも例外ではありません。
突然の悲劇にどのような感情を抱き、どのように乗り越えていったのか、今回の記事ではその過程をたどってみます。
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板尾創路さんの場合
お笑いコンビ「130R」でお馴染みの他、俳優・映画監督としても活躍する板尾創路さんですが、2009(平成21)年に悲劇が襲いました。
当時、1歳11か月だった板尾さんの長女が突然意識を失い、病院に運ばれましたが息を引き取りました。
原因がわからなかったため、当初は交通事故ではないかとの憶測が流れましたが、板尾さん自身が病気と明言しており、後に乳幼児突然死症候群と判明しました。
深い愛情を注いでいた矢先の不幸に、板尾さんの悲しみはとても大きかったことでしょう。
2012年に板尾さんには次女が生まれましたが、長女を失った後の新しい命の誕生について、「当たり前のことがどんなに素晴らしいことか」「生きていくことは辛いことだけど、素晴らしいこと」という思いを、出演した24時間テレビで率直に語っています。
板尾さん自身も若い頃には色々なことがあっただけに、愛娘の不慮の出来事から、生きていくことは本当に素晴らしいということが伝わってきます。
YUKI(歌手・元JUDY AND MARY)さんの場合
元JUDY AND MARYのボーカルで、女性ボーカルとしてカリスマ的存在であるYUKIさんですが、2005(平成17)年3月に悲劇が襲います。
1歳11か月になるYUKIさんの長男が、朝起きたら突然に亡くなっていたことを自身のホームページでアップしました。
原因は明かされていませんが、乳幼児突然死症候群の可能性が高いと見られます。
同年5月に日本武道館でスタートした全国ツアーの最初で、「生きて来た中で一番辛い出来事」と報告しています。
YUKIさんは、余りにも突然の長男との別れに、とてもツアーを行える状態ではなかったと思いますが、ツアーのスタート後には「ファンがとても温かく応援してくれてとても幸せ」と涙をぬぐい、「息子を愛しています。息子の分までしっかり生きて行こうと思います」とコメントしました。
その後のYUKIさんの活動はご存知の通りで、紅白歌合戦にも出場していますが、突然命を奪われてしまった愛息のことを忘れたことはないと思います。
芸能人という仕事の辛さを感じますが、だからこそ私達は命を大切で、粗末にしてはいけないということが伝わってきます。
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横綱・千代の富士関(九重親方)の場合
相撲史に残る、優勝31回を誇る大横綱だった第58代横綱・千代の富士貢さん(故人)も、1989(平成元)年夏場所で優勝を飾った直後に、三女が乳幼児突然死症候群で生後4か月足らずの命を奪われてしまいます。
賜杯と共に写る三女の姿がニュースになった直後だったので、ご記憶の方は多いと思います。
とても土俵に上がれる状況ではないと心配されましたが、その次の大相撲名古屋場所では悲しみをこらえながら数珠を首にかけて名古屋入りし、見事に通算28回目の優勝を果たしました。
千代の富士さんは、「優勝で、とてもいい供養が出来た」とコメントし、その直後には相撲界で初めて国民栄誉賞受賞の栄誉に輝きました。
勝負の世界に生きた人だからこそ、悲しみをひたすら稽古にぶつけ、その結果が優勝、そして国民栄誉賞に繋がったのでしょう。
引退後は九重部屋を継承し、九重親方として大関・千代大海関などを育成しましたが、昨年7月、61歳の若さで惜しまれつつ亡くなりました。
まとめ
乳幼児突然死症候群の悲劇は、余りにもいたたまれないものです。
余りにも理不尽なことですが、だからこそ「もっと生きていたかった」という赤ちゃんの思いは、悲しみに突き落とされた芸能人・著名人の生き様を通して伝わってきます。
乳幼児突然死症候群は、今も原因がはっきりわからない恐ろしい病気ですが、どんなケースで起きるかという傾向と、防ぐための対策はある程度わかっています。
私達は、大きな愛と優しさで赤ちゃんを見守り、新しい命をいつまでも守っていきましょう。
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