元プロ野球選手でクローザーとして活躍していたもりた盛田幸妃さん。
昨年2015年10月16日に45歳という若さで逝去されましたが、存命中は、脳腫瘍という病気との闘病生活を続けながらも1軍のマウンドに復活した「奇跡のリリーバー」と称されていました。
妻の倫子さんや子供も盛田さんの復活のために一生懸命支えてきましたが、その闘病生活は壮絶なものだったようです。
盛田幸妃さん プロ野球選手生活と病気について
盛田幸妃(もりたこうき)さんは、北海道出身の投手で、1987年にドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)に入団しました。最優秀防御率を受賞する年もあり、中継ぎやクローザーとして活躍してチームに貢献してきました。当時、他の球団からすれば、盛田幸妃さんと佐々木主浩さんのダブルストッパーにまわったらおわりと思うほどの脅威的な選手でした。
しかし、1998年5月頃から、右足首に違和感や麻痺などが起こるようになってきたのです。一軍の登録も抹消さたことから精密検査を行ったとところ、脳に病気が見つかりました。その病気は脳腫瘍(髄膜腫という種類)。ゴルフボール大ということで、かなり大きな腫瘍だったのだと推察されます。医師からは、手術をすれば普通の生活はできるようになるかもしれないが、野球選手として活躍するのは諦めることになるだろうと告げられました。
このとき、盛田さんは持ち前のポジティブ思考で手術後のリハビリをがんばればなんとかなると考え1998年9月に摘出術を受けました。予想していたとおり術後右足に麻痺が残ってしまいましたが、懸命のリハビリの結果、一年後の1998年8月に2軍戦に登板し、一軍復帰を果たしたのです。本当にすごいの一言ですよね。並大抵の精神力ではないと思います。
2001年には、約3年ぶりの勝利投手ともなり、当時、所属していた近鉄バッファローズのリーグ優勝にも貢献しました。
2002年には惜しまれつつも現役引退を表明しました。盛田さんのプロ野球選手としての人生に区切りをつけたのです。
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子供や妻倫子さんと供に病気と闘った半生
表向きには脳腫瘍からの奇跡的な回復をみせたリリーバーとしての美談を語られることが多いですが、本人にとってはもちろん、子供や妻である倫子さんにとっては壮絶な闘病生活でした。
妻の倫子さんはもともと日本航空の客室乗務員をされていましたが、20代半ばで盛田幸妃さんと結婚されました。前に出るようなことはなく、盛田さんに尽くすタイプだったそうです。
弱音を吐くことが嫌いなタイプであった盛田さんは、選手時代も自分の意見をしっかり持ち他人の意見を聞くほうではなかったため、倫子さんもとても苦労してきたんだそうです。
手術後のリハビリもとても大変で不安もあったと思いますが、盛田さんは倫子さんにきつく当たることもあったようです。倫子さんも子供がいる手前取り乱すことができず裏で泣いていたこともありました。
しかし、盛田さんが必至でがんばっているのに、自分が弱音をはいてどうすると自分で言い聞かせていたのかもしれません。盛田さんも子供がいたからこそこんなことで負けていられないと闘病生活をがんばれたのだと思います。
現役引退後は、球団の事務方として働いたり、プロ野球解説者として活動を行っていました。将来的には球団で指導者として野球に携わっていきたいという夢をもっていたのです。しかし、2005年に病気の脳腫瘍が再発、除去手術には成功しましたが、その後も再発や転移を繰り返す厳しい生活が続きました。
子供や倫子さんも盛田さんの看病でとても大変だったと思いますが、献身的に支えてきました。人に謝ったり感謝したりという表現をすることが苦手だった盛田さんも、病気をしてからそういった気持ちを伝えることの大切さを身にしみて感じたそうです。
2015年、45歳という若さでこの世を去りましたが、世間に残した希望や勇気はとても大きいものだったのではないでしょうか。こういった方を陰で支えた子供や倫子さんにも敬意を表したいと思います。
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